木曽福島 - 藪原

  
地図→①木曽福島-原野  ②原野ー宮ノ越  ③宮ノ越ー吉田  ④吉田-藪原



 今回は 木曽義仲ゆかりの旧跡を巡る散策となる。
鳥居峠を越えるために、藪原に泊ることにした為、いつもよりゆったりとした歩きとなる。
 木曽福島関所の向かい側の山裾にある興禅寺を訪れる。
 

興禅寺
 関所の手前の上町交差点を左折して木曽川を渡り、突当りを右に坂道を上って行く。
 左側の山が城山(じょうやま)の東の尾根に当たり、その尾根には中世に木曽氏が築城したといわれる福島城址がある。
 緩い坂道の途中には、城山の権現滝付近から引いたという水場がある。 その先に興禅寺がある。

 興禅寺は、木曽家代々、代官山村家代々の菩提所で、木曽三大寺の一つ。
 永享6年(1434)に、木曽家が義仲追善供養のために、荒廃していた寺を修復再建したという。

 
 墓所の正面の宝篋印塔に、木曽義仲の遺髪が納められているといい、右が中興開基した木曽信道、左が福島城を築いたという木曽義康の墓である。

木曽福島関所と木曽川
 興禅寺から中山道へ戻る途中、木曽川と関所の位置関係がよくわかる。 左は木曽川に架かる橋から、関所を見上げた所。
右は これから進む木曽川上流方面 (右側に関所のある小高い丘)。

 国道19号線に合流後、少し先で左に降りて木曽川沿いを進み、木曽大橋の下をくぐってから、再び国道に合流する。

経塚碑と芭蕉句碑

 合流地点の国道の向かい側に、石碑と石仏が建っている。
土台やその周りが新しいので、近くからここに移されてきたようだ。

 説明板によると、経塚碑は「初代木曽代官良候が、慶長年間((1596~1615)に全国の霊場を廻って大乗経を収め、記念としてこの裏山中腹に塚を築いて松を植えた。その後、五代山村良忠が碑文を刻み建立したもの」という。元禄14年(1701)の銘がある。
  その奥に、元禄15年(1702)建立の大日如来像がある。

 その隣に、芭蕉句碑がある。
   おもい出す 木曽や四月の さくら狩り
 (尾張熱田で、木曽の桜を思い出して詠んだもの)


矢崎交差点から細道へ
 少し先の矢崎交差点のすぐ手前に右に上る細道があり、これが旧中山道である。
 すぐに坂道を下りて、道なりにすすむと、デイリーヤマザキの駐車場にでる。
 その前の国道を、注意深く横切って、歩道から斜めに降りて、国道に並行している道を進む。


 間もなく、右側に中山道の標識が立ち、斜面を上る細い坂がある。

出尻一里塚跡


 すぐ先、国道に合流した所に、真新しい石碑と説明板がある。
この先の上田から、出尻坂を下ってくる所にあったらしいが、国道の工事の関係でその面影はない。
 国道の歩道を歩き、次の信号のトヨタサービス店の角の信号で、左に降りて行くと、旧中山道があらわれる。










 上田地区ののどかな道を歩く。
右手にこんもりとした丘が見えてくる。
 
 右へ入る道筋に西國順禮三拾三所・・(享保19年-1734)や 順禮秩父三十四所・・(寛延4年-1751)等の供養塔が数基建っている。

   






手習天神
 石段を上ると、大きな木の根元に小さな本殿を覆っている建物ー手習天神ーがある。

 説明板によると、「古くは山下天神とよび、木曽義仲を養育した中原兼遠が、義仲の学問の神として勧請したものと伝えられている。・・・・・・境内にある『一位』の古木は名木として知られ、中山道の旅人はここを必ず参詣した。」という。




 本殿は、江戸時代に建築されたといい、正面の梁上部に龍や、妻面に雲と笹などの彫刻が見られる。

 今回は訪れることができなかったが、ここからJR中央線を挟んで北西方向には、中原兼遠の館跡がある。

 手習天神の隣に、薬師如来を安置してあるという薬師堂がある。
その脇には、今まで見たこともない大きな自然石に刻まれた廿三夜塔や、文字庚申塔がある。


道の景色
 のどかな栗本地区の道を進む。


 中山道の標識通りに左に進むと、正沢川にかかる鉄の橋を渡る。
 流れが速く、土手沿いの桜が満開だ。



 
 しばらく草道を進み、斜面をのぼっていくと、細い車道となり、少し先で国道に並行している県道に出る。

中山道 中間地点
  その先、国道につながる道とのT字路右手に 「中山道 中間地点」の石柱が立っている。
  江戸、京都双方から 67里28町(約266km)に位置している。(説明板)

 右手奥には木曽駒の一部が見える。







 左手には 小山が連なり、少し先では「明星岩」と呼ばれている大きな岩が見える。

石塔・石仏群
 右側の大きな石塔は、元禄14年(1701)の西国三十三所観世音菩薩とある供養塔で、
他に数多くの石塔・石仏が並んでいる。同じ並びの道路寄りには、大小 各2体の石仏がたっている。





 少し離れた右の一画にも、安政年間(1854~59)の石仏や文字庚申塔が並んでいる。

原野ー間の宿
 間もなく左手がJR原野駅入口である。
ここは 間の宿として栄えてきた地区で、その面影が残っている町並みであり、出桁造りの家がよく残る。
ちょうど、ツバメが飛び交かっている時期である。




 JRの踏切を過ぎてからは、交通量の少ない舗装された道で、旧街道の趣は全くない。
 木曽川は左手の奥の方を流れ、しばらくの間は、前方の視野も広く、木曽を歩いていることを忘れるくらいの空が開けたもとでの歩きである。

宮ノ越一里塚
             <塚の手前からT字路方面を見たところ>

 踏切から数百m先、左手からの道がくるT字路の右手に「宮ノ越 一里塚跡」の石碑がある。
 一つ手前の「出尻一里塚」も含め、両塚ともに道路工事の関係で塚の面影は全くなく、石碑についても新しく立てられたようである。

宮ノ越宿
 一里塚跡の石碑から数百m先、右側、日義小学校からの道が合流して來る辺りから宮ノ越宿である。
 右手「下町会館」の広場の隅に廿三夜塔など石塔が数基集められている。
 更にその先に、「明治天皇宮ノ越御膳水」との石碑と井戸がある。
説明板によると、井戸は江戸末期(1866年頃)町内の飲用水を得るために掘られ、昭和初期まで使われていた」という。石積みは当時のままで、直径1.1m、深さ8.0m)という。






宮ノ越宿は、天保14年(1843)には、本陣1、脇本陣1、旅籠21軒、 総家数は137軒であった。。

田中邸
 中ほどに、もともと宿の旅籠であった田中屋主屋がある。大火で焼失後、運び出した建具類と、隣村の建物部材を多用して移築されているので、幕末期の建築年代と考えられるという。
2階を3尺張り出した出梁造りで、1階は格子戸、2階は障子戸となっている。

<脇本陣跡>
 その先右側の空き地に、脇本陣跡・問屋場跡の立札がてっている

本陣跡

 広い空き地の先に、明治天皇小休止跡の石碑とともに、その奥に明治16年(1883)の大火で焼失し、当時の客殿部のみ残っている建物がある。
 天保14年(1843)の本陣絵図によると、街道に接して間口12間、奥行26間の敷地であったという。


義仲館

 すぐ先で道筋は木曽川沿いとなる。右手は、宮ノ越駅であるが、木曽川の西側には、徳音寺があり、中山道はまっすぐ北に向かうが、木曽川を渡って徳音寺を訪れる。
 途中に、義仲に関する資料を展示している、義仲館がある。

その中で分り易いのは、義仲に関係する地名を描いた地図である。

①嵐山ー生誕の地     ②宮ノ越-旗挙の地      ③大津-終焉の地

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 木曽義仲は、、久寿元年(1154) 源義賢(義朝の弟)の次男として、武蔵国 大蔵で生まれた。一族の争いで起きた大蔵合戦で、義賢が、義朝の長男悪源太義平に討たれたが、義仲は木曽に逃れ、豪族 中原兼遠のもとで養育された。
 以仁王の平家追討の令旨を受け、兼遠の援助により、治承4年(1180)宮ノ越で挙兵。行動を共にした樋口兼光・今井兼平兄弟は兼遠の息子で、愛人の巴御前は兼遠の娘である。
 京に攻めのぼり征夷大将軍となり、朝日将軍と名乗ったが、源頼朝軍に攻められ、近江粟津で敗死した。 31才。


徳音寺

 

 徳音寺の鐘楼門に向かう参道はヒガン桜が満開であった。

 寺の前身は、仁安3年(1168)義仲の母小枝(さえ)御前を葬った山吹山の麓に建立された柏原寺で、義仲死後 徳音寺と改め、宮ノ越に移し 義仲の菩提寺とした。



<鐘楼門>

享保8年(1723)に建立された 唐様(禅宗様式)の楼門。







<義仲の墓>
 本堂の左手奥にある。
義仲の墓(奥の一段高くなっているところ)とともに、右手前に小枝御前、左手前に巴御前の墓がある。

 
旗挙八幡宮
 義仲橋まで戻り、北に進む。中山道は葵橋で木曽川を渡るが、ここで再び寄り道を。JR線のガードをくぐり、高台へ上って300m程進む。
旗挙八幡宮の境内の裏から入るかたちであるが、この辺りは義仲が館を構えたところで八幡宮を祀っていた。

 義仲が治承4年(1180)27歳で挙兵した場所で、旗挙八幡宮とよばれる。
 社殿脇の大ケヤキは樹齢800年といわれ、義仲の元服を祝って植えられたといわれる。


<館のあった台地からみる宮ノ越>

道の景色
 葵橋まで戻り、木曽川を渡り、木曽川の西を進む。
紺屋という屋号のかかった民家。「有栖川宮御休所跡碑」が建つ。

少し先の正面の山が、山吹山である。

 




<道祖神>

巴淵(ともえがふち)

 木曽川を巴橋で渡る。
橋を渡る手前の岩の前に、「南宮神社手洗水」の立札が立っている。  (南宮神社は、ここから南東200m程の山腹にある神社で、義仲が戦勝祈願したところ)

 橋の左下に、上流からの流れカーブしている深い淵で、、エメラルドグリーン色となっている「巴淵」が姿を現す。。
 巴御前の名にちなんで名づけられたもので、「この淵にすむ龍神が、木曽義仲の養父 中原兼遠の娘として生まれ、巴御前に化身して義仲の生涯を守り続けた」という伝説がある。(説明板)

<許六句碑>
 小公園の端に、自然石に「巴淵」と大きく刻まれた石碑があり、その右部に小さく許六の句が刻まれている。

  山吹も 巴もいでて 田植えかな


山吹トンネルを迂回・・旧道
 すぐに国道19号線に合流する。正面に山吹トンネルがみえてくるが、車の通行量がはげしいので、その手前で、車輌通行止めとなっている旧道を進むことにした。(右の写真)
 
 山吹山のすそ野を廻り込んですすむ。。木曽川沿いの中山道の雰囲気がよく出ているが、落石など道路に散らばっており、注意を要する。
   

 400mほど旧国道は続き、山吹トンネルから出てきた国道にぶつかる。

道の景色
 国道を横断して、木曽川沿いを進むが、この辺りに、吉田の一里塚があったというが、何も残されていない。(藪原一里塚の説明板に木祖村内にあるもう一つの一里塚として書かれている)

 吉田橋で、国道に合流する。
ここからは、左側の歩道を歩く。

 しばらく行くと、ドライブインの駐車場を過ぎた所に、多くの石塔・石仏群が集められている。 国道を渡れない為、遠くからの眺めである。

洞門
 吉田洞門の先、信号のあるT字路で、国道を横断して右側を進んで行くと、旧中山道の痕跡が残っている。
南に進んで行く山道で、通行止めである。


  国道19号線は木曽川を渡っていくが、橋の手前を川の右沿いに進む旧国道がある。

車も通らない旧道をのんびりと進むと、対岸の新国道の壁面に、巨大なレリーフが現れる。松と旅人が描かれ「、中山道鳥居峠」の文字が見える。

藪原宿・鳥居峠方面
 すぐ先で国道に合流し、藪原を目指す。
藪原の全体の景色、その先の鳥居峠のある山並みが見えてくる。

 藪原駅周辺の開発で中山道の道筋はまったく消滅している。

 駅手前のガード下をくぐって、駅の西側に向かう。


一里塚跡
 ガード下を出てすぐの細道を線路に沿って北に進むと、、左手に木祖村民センターがある。
 その端に蒸気機関車が展示され、脇に「中山道藪原宿 一里塚の跡」と刻まれた石碑が立っている。

 線路脇の細道まで戻り、北に進み、左手に見える墓地(写真左手)のすぐ脇の道を進む。

藪原宿 高札場跡
 少し進むと、右へ曲り、すぐに左へと進む。
桝形となっており、藪原宿の入口であり、ここに高札場があった。

 天保14年(1843)、本陣1、脇本陣1、旅籠 10軒、総家数 266軒であった。
 藪原宿は「お六櫛」でその名を知られている。
 「中山道を歩く」によると、、お六は、藪原の人ではなく、妻籠宿の旅籠屋の娘だったという。当初妻籠宿の名物だったが、材料となるミネバリが不足して、藪原に求めるようになり、藪原では手放すのが惜しくなり、妻籠から技術を習得して藪原で造って広め、妻籠の地位を奪うことになった。」という。

お六櫛 篠原商店
 高札場跡のすぐ先に「お六櫛」の店がある。
ちょうど5時を過ぎていて、篠原商店の主人は出かけるところであったが、せっかく来たからと言って店の中を案内していただいた。
 
江戸時代の中山道の旅人に倣って、小さくて手ごろなので、木曽の土産として買い求めた。


 すぐ先に、宮川漆器店/漆器資料館がある。

防火高塀跡
 右へ入る細道の角に、石垣と説明板がある。
 「元禄8年(1695)の大火のあと、宿の再建の際、防火対策として、各戸の間口1間につき1寸の割合で提供しあって、二か所に広小路を作った。 その後、広小路の北側に土を盛り石垣をきずいてその上に高い土塀を作って防火壁とした。」という。

藪原神社
 一つ先の細道を右へ入り、JRのガード下をくぐっていくと、藪原神社がある。
 天武天皇9年(680)に、熊野から勧請したのが最初という。
急な斜面に、本殿が聳えるように建っている。
本殿は文化12年(1815)の作という。

その南側に極楽寺がある。

山門は、三間一戸の四脚門で、元禄11年((1698)の建造という。


<山門前から見た宿の町並み>

旅籠 米屋
 宿の通りまで戻ってすぐ先に、「米屋 興左衛門」の看板を掲げた建物・・こめや・・がある。
慶長13年(1698)創業で、建物は明治の大火後、須原から移築したものという。

少し先に、藪原宿本陣跡との標識がある。
 ここから、鳥居峠に上る道は、JR線により、消滅しており、この先にあるJRの跨線橋を渡る。
 本日は、駅前の旅館での宿泊である。


  散策日   2018年4月20日   木曽福島駅―藪原
  参考   「中山道を歩く」       横山正治・安斎達雄