大磯-国府津        地図→ @大磯−二宮   A二宮−国府津



大磯駅から東海道−国道1号線方面へ行くのに、左方向の道を下っていくが、下り始めるところから細い道を右にはいっていく。


地福寺


右手に地福寺がある。
島崎藤村夫妻の墓がある。
境内には良く整った紅白の梅の木、蝋梅がきれいに咲いていた
尾上本陣跡


東海道に出てすぐの右手に、「大磯小学校発祥の地」の石碑があり、側面には尾上本陣跡と記されている。
新島襄終焉の地


先に進み、照ヶ崎海岸入口の信号のある三叉路に、碑が建っている。
説明板によれば、「天保14年(1843年)生まれの、新島襄は、1864年米国に渡り10年の苦学の後、キリスト教主義教育による人民教化の事業に献身する決意で帰国し、1875年京都に同志社英学校を設立した。その後、宿願の同志社大学設立の企画中、病にかかり、1890年療養先のこの地−旅館百足屋で生涯を閉じた。」という。
湘南発祥の地大磯の由来


左側に湘南発祥の地という石碑と説明板がたっており、湘南の由来に説明がある。
その先に鴫立庵である。
鴫立庵


古今和歌集で有名な西行法師の和歌にちなんで、小田原の医師,外郎(ういろう)の子孫,崇雪(そうせつ)が、寛文4年(1664年)に庵をむ結んだ野が始まりという。崇雪が草庵を結んだときに、鴫立沢も標石を建てたが、その標石に『著儘(ああ)湘南清絶地』と刻まれていることから、湘南の呼称の始まりとされている。という。
西行法師坐像


 鴫立庵室         法虎堂に安置されている虎御前
    
               
島崎藤村邸

鴫立庵の先、右手に妙昌寺にはいる小道を、過ぎて一つ目を右に入る。
案内板に沿っていくと、静かなたたずまいの中に島崎藤村邸がある。
  
                            


大磯での左義長見物のあと、昭和16年からここに住み始め、昭和18年71歳の生涯を閉じた。
訪ねたのは2月であるが、暖かい陽射しがあり、玄関、書斎、広縁もゆったりとしており、庭は広くもなくとても落ち着いている。
上方見附跡


東海道に戻り、左手に上方見附の説明板がある。
松並木


今から約400年前に、諸街道の改修のとき以来植えられ、大切に育てられてきた。
樹齢217年の「年輪」が展示されている。
創浪閣


伊藤博文の邸宅を一部残して改築、大磯プリンスホテルの別館。
血洗川   


この近くで戦があったという。

この先、右手の小山が城山公園である。

吉田茂の銅像





城山公園へ交差点、右へ入る道が旧東海道である。
通り過ぎて左・・海方面にはいるり、湘南道路の手前を左に入ると、銅像がある
  
大磯町から国府津あたりまでを小陶綾(こゆるぎ)ノ浜といわれた。

城山公園


もときた交差点まで戻り、旧東海道をすすむ。すぐ右手が城山公園入口=駐車場である
旧三井財閥別邸跡を利用した公園で、室町時代には小磯城があったという。
寶前院


川を渡った左手に寶前院がある。
  
国府本郷の一里塚


国道一号線と合流する手前、平行しているところに17番目の一里塚の案内板がある。
実際の一里塚はここより200mほど江戸よりであったという。
道祖神


合流直前にある。左脇には明治44年と刻まれている。
寶積院


しばらく進むと、右手に入る道路の入口に大きな六所神社の鳥居がたっている。そこをはいって、JR線の手前が寶積院である。この梵鐘は、嘉永8年(1631年)の銘をもつ町内最古のものという。境内にあるカヤの木は、樹齢400年という。
六所神社


JR線をくぐったさきに六所神社がある。
柳田大明神 、寒川神社、川匂神社、比々多神社、前鳥神社、平塚八幡宮の六社の神を祀ることから、呼ばれる。
塩梅橋


二宮駅の手前、鳶川に塩梅橋がかかっている。近くに『塩梅の名残り』という標柱がたつ。
知足寺





二宮の駅前に大きな案内図があり、そこに、曽我兄弟の墓という案内があったので、東海道から外れるが出かけた。
寺の西奥に「曽我兄弟の墓(伝)」という柱がたち、自然石の墓が並んでいた。
吾妻神社


東海道に戻り、右奥に鳥居が見える道を入り、JR線をこえる。
吾妻山への登り口と、鳥居がある。急な坂道を上ると、吾妻神社につく。


祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)とその妃、弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)
説明板によれば、「日本武尊が三浦半島走水から上総に渡るとき暴風突如に起こり、妻の命が海神の怒りを静め、夫の武運を祈り海中に身を投じた。7日後に櫛が流れ着き、生めて御陵を作る造る。また、小袖が流れ着き、祭ったという。東北からの帰途、海をながめ『ああ吾が妻』と嘆いたと」いう。
吾妻山公園



神社から山頂の登っていき、吾妻山公園の西端にでた。
ちょうど菜の花が満開で、その。上に、相模湾、箱根、富士山、丹沢を、見渡せるすばらしさは格別であった
等覚院





東海道に戻り、次の信号の手前を右に入るのが、旧道であり、ヤマニ醤油」「を過ぎると、右側に等覚院がある。 樹齢約400年という藤の木がある。
梵鐘は二宮町内で、最も古いもので寛永8年(1631年)の銘があるという。
道祖神



旧道が合流する地点に道祖神がある。その先の信号を左に入るのが、旧道で『旧東海道の名残り』という標柱が建つ。
一里塚跡



標柱の先に、江戸から18番目の一里塚の跡がある。大磯と小田原の中間の位置にあり、距離が16kmと長く先に押切坂、酒匂川、、があることから間の宿(あいのしゅく)として休憩所がもうけられ、、周辺には茶屋や商店が軒を並べ、『梅沢の立場』と呼ばれて賑わったという。
その中心的な存在が『松屋本陣』であった。





松屋本陣跡
一里塚の先、左手の民家のフェンスの内側に、案内板が建っている
道祖神


下り坂となり、再び国道1号線と合流する前に、道祖神がある。
車坂

左に海が見え、東前川の信号を過ぎた右手に、大きな案内板がある。太田道灌、源実朝、『十六夜日記』の阿仏尼の3首が掲げられている。
(「史跡車坂」という木柱は、倒れていた。)
  
大山道道標


右手の細い道を曲がる角に、黄色で彩色された不動明王が乗っている道標がある。
「従是大山道」「大やまみち」と二面に刻印されており、文化11年(1814年)と、記されている。その脇に天保5年(1834年)と刻まれた石塔もある。
道祖神


その先に 国府津駅手前にかけて、右手に2箇所、道祖神が、たつ。
国府津の海

国府津の駅に帰る前に、海におりた。
箱根山を望む。
国府津駅開業100周年記念
国府津駅の前に、明治20年7月11日開業の石碑が建っている。

 国府津駅は、箱根を御殿場方面から抜ける蒸気機関車の基地として、東海道線の主要駅に位置づけられていたが、昭和9年の丹那トンネルの開通とともにその地位が失われていった。
御殿場線をはしる蒸気機関車には、懐かしい思い出があり、また大規模な機関車の転車台と車庫は、東海道線の二宮側から入る時にいつもその威容がしのばれ印象的であったが、1982年に撤去されたという
散策日 2007年2月2日  大磯−国府津
参考  「神奈川県の歴史散歩」  山川出版社