中の道 3.鶴ヶ峰―荏田
  地図 @鶴ヶ峰-中山  A中山-川和 B川和-荏田

 

 鶴ヶ峰から、白根神社を経由し北に進み、鶴見川を渡って、荏田までいく。

帷子川
 鶴ヶ峰駅から、商店街を通り八王子街道の鶴ヶ峰交差点まで直行する。区庁舎付近を通ってきた旧街道はここから東へ向かい、白根の交差点から北へ進む。
もっと以前は、今の八王子街道をもう少し東に向かい、白根不動の信号から、帷子川の支流の中堀川沿いを通っていたらしい。

白根交番前を右折すると白根神社である。鳥居の先に広い境内の奥に社殿があり、川を渡った先の急な石段(今は使えず、回り道となっている)の上に、大きな社殿がある。

白根神社

               
 創立年代は不詳。
「新編武蔵国風土記稿」によると、源義家が厚く信仰し、天喜年間安倍貞任・宗任征伐の時(前九年の役)本尊の不動明王坐像(約5cm)を兜の内に納めて勝利したのに報いるため、康平6年(1063)鎌倉権五郎景政に命じて伽藍を建立したという。白瀧山成願寺といった。
江戸時代には白根不動として知られた。
 また、頼朝が、奥州征伐の時、故事を思い起こして境内の池で身を清め鬢をそそいだという鬢手洗池(びんだらいけ)がある。

 川を渡った対岸に、「小滝」、池と不動明王があり、上流には、「大滝」がある。

道の風景
 川に沿って北西に進む。白根小学校の先の郵便局の角を右に入る。
旧街道は途中で消えるが、その先の旭台中央公園と東急ストアーの間の北側に続きがある。
 少し住宅街が続いた後はまだ畑の中を進む。ただ長くは続かず広い道路を横切った後は、再び住宅地となる。

長坂谷公園
 なだらかな下りの坂道が続き、西側には、広い谷間につくられた長坂谷公園が広がっている。

中原街道
 中原街道を斜めに横切る。
交差点北角に立っているという不動明王は見つからなかった。
旧街道は北に進む。
バス道路を横切ると、長泉寺と杉山神社が並ぶ。

長泉寺と杉山神社
 元禄6年(1693)の庚申塔が立つ。

恩田川を渡る
 長泉寺の横の旧街道を北に進んで横浜線の踏切を渡る。
工場の建物で途切れるので、左に進み、バス道路を通って都橋で恩田川を渡る。
青砥の信号で東に向かい、100m弱のところでビルの間にある通りに入り、北に向かう。最初の左側角に、屋根をつけている庚申塔と石仏が立つ。庚申塔は享保3年(1718)と刻まれている。

庚申塔
 住宅地を道なりに進むと、二又に分かれる地点の正面に庚申塔がたつ。
享保4年(1719)と刻まれ、先ほどの庚申塔と同じような姿であるが、表面が風化している。
 右側の道を行き、次を北に向かって左折する。
新たに広げられた交差点に出て、右に曲がり、鶴見川にむかう。右側は住宅地が並ぶが、左側は畑が広がっている。
鶴見川
 精進橋で鶴見川を渡るが、地下鉄グリーンラインの陸橋が新たにでき、精進橋の付け替え工事など周辺の道路工事が大がかりに行われている。

 ここは、古くは渡し場で「地蔵渡し」と呼ばれていたという。

川和宿
 橋を渡り、川沿いの道から離れ、北にまっすぐ進むみちを行く。
150mほど先の右側角に、鳥居があり、午頭天王を祀る神社がある。
沿道は、川和宿の集落であり、この辺りが宿の中心であったという。
その先右の道端には。庚申塔がひっそりと立っている。

八幡神社
 旧街道は北に進むが、ここで東にある八幡神社と天宗寺にいく。
フジミ電子工業の角を東に曲がり少し行くと、朱色の鳥居と長い参道をもつ八幡神社がある。神社の由緒によれば、古くは河輪神社といい、平安時代に花山上皇がし、また坂上田村麿、頼朝、家康など武将が崇敬したという。
石塔が多く立つ境内である。

天宗寺
 角が多い細い道をたどって東に行くと天宗寺がある。
本堂は真新しいが、境内左に、地蔵堂がたち、地蔵菩薩が納められている。
鶴見川の地蔵の渡しにあった「渡し場地蔵」である。

石塔の風景

天宗寺から南へ、瑞雲寺までの道沿いにある。
    
       文政3年(1820) 文化3年(1806)享保4年(1719)         寛政10年(1798)

道の風景
旧街道に戻り北に進む。道が狭くなって東にまがり、横浜上麻生道路に出る。

庚申塔
 出口に簡単なお堂があり、庚申塔や不動明王など6基の石塔がある。庚申塔は、宝永6年(1709)、宝暦9年(1759)、安永3年(1774)の銘がある。
またバス道の反対側には、天保3年(1832)の自然石の供養塔が立っている。
車の往来が激しいが、古道の面影の残る場所ではある。

道の風景
 旧街道はバス道路を北に進み、下市ヶ尾の信号の手前を東の丘陵に向かうよであるが、そこから先ははっきりとしない。
そこで、住宅街のなかにはいり、泉天ヶ谷公園の東側を目指す。
広いバス通りがあり、横切ってからは、荏田高校をめざす。

道の風景
 きれいに区画整理された住宅街で、旧街道に相当する道は全くないが、丘陵の尾根に当たる部分で、地図上で町の境界線に近い道を進む。
荏田高校が東下に見える。。

道の風景
 北の方角にも同じような丘陵が続くが、そこに、中央分離帯のある広い道路上の高い位置にかかっている池尻橋がある

 尾根沿いに進む道で、左側が住宅地で、右側が家の裏側が丘陵の斜面で林がつづく。
下り坂をおりると、真福寺となる。

真福寺
 説明板によると、ここから北3.4km離れたところにあったが老朽化により当時観音堂であったここに移ったという。
木造釈迦如来立像(寄木造)は、国重文で鎌倉時代の作。清涼寺式釈迦とよばれる形式の仏像という。(他に、極楽寺と称名寺の像がある)
 山門の下の石段手前に文政11年(1828)の文字の庚申塔と3基の石仏が立っている。文政11年(1828
剣神社
 真福寺から剣神社に行く。北のバス道路を東にいき、柚の木交差点を南に行くと、右側山の奥にある。境内の大きな石碑があり、伝説を記している。
 「昔陸奥国から鎌倉の刀鍛冶に炭を売る商人がいた。刀鍛冶は長年のお礼に刀一口を贈った。商人は帰る途中この辺りで泉の水を飲んだところ、酒に酔ったように倒れてしまった。松の木の上から大蛇が呑もうとするときに、刀が自ら抜き出て蛇を斬殺した。剣を祀って剣明神と号した」という。



真福寺経由、田園都市線荏田駅まで戻った。
     
    
 散策日   2008年3月28日            
 参考資料  「旧鎌倉街道探索の旅  中道編」  芳賀善次郎

 「神奈川県の歴史散歩」