鎌倉下の道 D (天王町−菊名) 地図→@天王町-岸根 A岸根-大倉山 |
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古町橋で帷子川を渡り、八王子街道を横切り、宮田町の丘陵の尾根伝いに三ツ沢に向かう。 |
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延命地蔵尊 | |||
昔の八王子街道が、少し横浜よりの「追分」から、今の16号線に合流するする地点の右側に延命地蔵尊がある。 |
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三ツ沢まで、尾根沿いの道を行く | |||
豊顕寺市民の森 | |||
豊顕寺の南側一帯は、市民の森として整備されており、桜、アジサイなどが楽しめるようになっており、また北には、「三ツ沢せせらぎ緑道」がある。 | |||
豊顕寺 | |||
説明板によれば、16世紀 三河国多米(ため)村の郷士 多米元興は隠棲したのち、、本顕寺をここに移して豊顕寺とした。その後江戸時代には、大きな学問所(三ツ沢壇林)として、学徒300人あまりと盛況を極めたという。 墓地奥にある笠付の大きな庚申搭・・天和元年(1681年)とある。 |
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帷子神社 | |||
豊顕寺前の大きな道と、新横浜通りの交差する三ツ沢上町交差点の歩道橋をわたり、西北のコーナーの先山側にいく。 コンクリート作りである。 |
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杉山神社 | |||
ツ沢上町交差点の北を、斜め右に向かう坂道を登り、住宅街を新横浜通りと平行して進む。 途中、片倉台団地で道がはっきりしなくなるが、先の神大寺小の脇を通過して、直進するが、その信号のところから左入り、杉山神社に行く。 片倉町の鎮守である。 |
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長遠寺 | |||
杉山神社のすぐ隣に、長遠寺がある。 元禄13年(1700年)の、庚申搭を祀った堂がある。 |
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日枝神社 | |||
もとに戻り神大寺小を通り過ぎて左奥に入ると、日枝神社がある。 |
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塩嘗地蔵尊 | |||
さらに東に行った山側に、塩嘗地蔵尊のお堂がある。 中には、石仏(らしい)4体と、その前に白い塩(?)が積まれている。 |
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馬頭観音 | |||
塩嘗地蔵の前の道を、「下の道」の方向に戻る途中に馬頭観音と念是観音と書かれた石造物がある。 |
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眺め | |||
もとの下の道に戻るが、このあたりはまだ畑が多く、気持ちよく歩けた。 すぐに岸根公園に到着する。 野球場、原っぱ、せせらぎ広場、忍者とりでなどなど、よく整備されている公園 である。 |
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岸根公園 | |||
篠原池 | |||
岸根公園の北東の端にあり、県立武道館が隣にある。 下の道は、この池の脇を通っていたという。 |
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弁財天 | |||
篠原池から地下鉄の駅前ビルのわきをと通って坂を登ると、篠原団地となる。 ここでは、縄文時代、弥生時代の住居跡や土器が発掘されたという、説明板があった。団地の左側が工事中であったが、その端を左折すると、小さなお堂があり、琵琶を持つ弁財天の像がある。 |
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篠原古墳 | |||
団地の端まで戻りしばらくして、急な角を左折して尾根沿いのみちを進む。 篠原八幡神社の少し手前、右側に小さな古墳がある。 大塚金剛神の石碑が建っている。(大正元年とある) |
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篠原八幡神社 | |||
すぐ先に,菊名方面から上ってくる道と交差し、左側に神社がある。 由緒によれば「、建久3年(1192年)武蔵国橘樹郡鈴木村の鎮守として、鶴岡八幡宮より勧請され、鶴崎八幡と呼ばれた。後に、村が篠原村と改称され、篠原八幡大神となった。・・・」 元文元年(1736年)建立の庚申搭がある。 |
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菊名方面とは反対側の篠原中学校のほうに、山をくだっていく。 途中の新横浜方面をみた眺めである。 |
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巡礼供養搭 | |||
中学のグランドの端を下りると、小さなスペースの墓の一角に巡礼供養搭がある。 元文第五庚申とある。 |
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道祖神 | |||
さらに下ったところに、双体道祖神がある。 |
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、観音寺 | |||
篠原八幡まで戻る手前の、左側坂の途中にに、観音寺がある。 新横浜の建物群を真下に見下ろす広い土地で、しかも、大きな本殿である。 |
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長福寺 | |||
観音寺から少し下った右側に、長福寺がある。 細い道をさがしまわったたが、わかりにくい。 |
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篠原八幡神社までもどり、下の道のルートである菊名駅まで、山を下っていった。 | |||
散策日 | 2007年2月16日 | 天王町−菊名 |
参考 | 「旧鎌倉街道を歩く」 | 勝田五郎著 |