鎌倉下の道 C (井土ヶ谷−天王町)      地図→弘明寺-天王町


 井土ヶ谷駅から鎌倉街道にでて、蒔田城址の近辺を回り、その後保土ヶ谷に向かうこととする。それと平行して、保土ヶ谷の「金沢横町」の道標にある『ぐみゃうじ道』について大畠洋一氏がHPに記載しているので参考にして、どのような道筋を通っていたのかをみることにする

「ぐみゃうじ道」庚申搭




井土ヶ谷駅から弘明寺に戻る線路沿いの南側の道の右側に、庚申搭があり、そこに、『左ぐみゃうじ道』とある。ここを通り、井土ヶ谷駅の西側のガード下を通って永田町の方向に進んでいくのが、その一つのようである。
 
また、ここから南には住吉神社があり、近くから移設された道標がおかれている。示されたその道を通りながら、現在の鎌倉街道に向かった。

大岡川、鎌倉街道を超え、南スポーツセンターの裏側に進む。

吉祥寺



蒔田城址跡のある丘のすそに建てられており、蟇股が、龍の丸彫りで見事である。・・・・・・勝田五郎氏のコメント
蟇股(かえるまた){=はりの上に置いて屋根を支えるための彫刻した材木}
 
若宮神社




「御由緒」によれば、源頼朝が鎌倉に幕府を開くにあたり、今の横浜市の南部地域の今の地が、鎌倉の鬼門にあたるので、厄除け鎮護等の目的をもって、数ヶ所に社寺を創建したが、当若宮八幡宮は、建久4年(1193)年に、鶴岡八幡宮の境内社である若宮八幡宮の別宮として創建されたと伝えられる。
 
ここから勝国寺には、若宮八幡宮の脇の道を上って、丘の上をひとまわりするのが良いということを教わった。



上からの西への眺め
勝国寺






説明版によると:
「成美学園の丘一帯は、小田原北条時代、北条氏と姻戚であった吉良氏数代の館跡で、蒔田御所といわれた。 勝国寺は、吉良氏の菩提寺の一つ」
 

蒔田城跡・成美学園遺跡



現在は、横浜英和女学院
縄文・弥生・奈良時代にかけての集落遺跡が発見されたという。
 
 東への眺め
西森稲荷


英和小学校の前の階段ををくだった左方向にある。
願い事を唱えて持ち上げて軽く感じたら願い事がかなうという「おもかる石」
 

杉山神社
鎌倉街道にもどるとすぐに地下鉄蒔田駅である。
左側に杉山神社がある
その構内には、近辺の散策コースが詳しく描かれている。
 
 
大岡川


下の道は宮元町の信号を左折し、大岡川を渡る。
井土ヶ谷事件の跡
文久3年(1863年)フランス仕官が殺害された事件の碑がある。・・・実際の事件跡は、約100m離れているという。


同じコーナーに、道標をかねた庚申搭がたっている。
   ぐみやうじ かまくら 道
   北 ほどがや  南かなざわ




ここから北に向かい、平戸桜木道路の信号をこえ、坂を上る。
 
清水丘への道


ここから北に向かい、平戸桜木道路の信号をこえ、坂を上る。
 


坂道を登り、首都高速を超える。清水丘公園がある。
下の道は、そこから北西にまっすぐ住宅街のなかを「北向き地蔵」に向かうのであるが、今回は、弘明寺道も合わせて歩くため、ここから、一旦京急井土ヶ谷駅に戻った。
井土ヶ谷駅西側ガード下から、環状1号線に平行して、古道は続く。
永田の信号の手前付近から東側に続く丘陵方面めざして坂道をのぼっていくことになる。


寶林寺



信号の先、井土ヶ谷切通しの方に寶林寺がある。18世紀半ば、月船禅慧が「東輝庵」を建立したという。
 
永田信号の手前にもどり、高速狩場線に向かって坂を登っていく。大きなマンションの立っているあたりが、「大阪」といわれたところと思われる。




高速の脇から、陸橋をわたる。

下の道の陸橋から、西側2つ目にあたる。
北向き地蔵

案内板によれば 「僧・三誉伝入(さんよでんにゅう)が享保2年(1717)に、天下泰平、国土安全と旅人の道中安全を祈念して建立したもので・(中略)・・・角柱には、『是(これ)より左の方かなさわ道』『是より右の方くめい寺道』と刻まれ、金沢方面と弘明寺方面への道案内もかねている」という
政子の井戸


北向き地蔵のある交差点をまっすぐの進むと、急な坂道となり、途中左手に政子の井戸(御所台の井戸)がある。将軍源頼朝の妻政子が鎌倉への途中でこの水を使ったと言い伝えられている。

今回の井土ヶ谷からの散策はここまでで、以下〜古町橋までは、は以前の旧東海道のときの記録を引用してある。

地蔵堂


坂の途中の右側に、苔むした階段があり、その上に地蔵堂がある。その前に、庚申塔や供養塔が多くたっている。

福聚寺


坂を下り切り、国道一号線に出る前に福聚寺がある。
『東海道中膝栗毛』の作者十返舎一九の弟子五返舎半九の墓があるという。
JRの踏切りをわたり今井川を渡るところは、工事中であり、「豊受大神宮」は、見ることができなかった。



道標が4基たち、金沢、鎌倉、杉田等への分岐点であった。
右から1番目-天明3年(1783年)

 正面:円海山乃道 かなさわ かまくらへ通りぬけ

 右面:是より えんかいさんみち 武州峯村 

右から2番目−天和2年(1682年)

 正面:かなさわ かまくら道

 左面:ぐめうし道       ほか 2基あり

栄重稲荷

旧東海道をこえて直進すると、左側に朱色がはっきりしている栄重稲荷がある。
そのあたりから、保土ヶ谷駅近くの遍照寺の手前あたりまではっきりしない。旧東海道と平行している。
遍照寺

木像の薬師如来像が屈指の佳作という。

大蓮寺


紀州徳川家の初代-徳川頼宣の母:おまんの方が寄進したというざくろの木(二代目)がある

天徳院


庚申塔
信号の脇の小堂の中に、、元禄9年(1696年)と文政8年(1825年)の庚申塔が2基立っている。
コーナーに新しく建てられた道標があり、古東海道、相州道と刻んである。
 
神明社

由緒」によれば、「今から一千年以上昔、保土ヶ谷の地が榛谷(はんがや)と呼ばれていた平安時代の中頃」からの、言い伝えがのこる。「その後嘉禄(かろく)元年(1225)神託があって、神明の下宮がつくられたという。戦乱の時代に一時衰退したが、天正18年(1590)徳川氏入国の時、社殿の造営が行われた。」という。
旧古町橋跡

庚申搭の交差点にまで戻り、左折する。しばらくすると公園のわきに「古町橋」の説明板がある。
 
古町橋


先ほどの古町橋跡の説明板のコーナーから、相鉄線よりに戻り、踏切を越えると、今の古町橋がある。

そこから、天王橋方向に流れる帷子川。



散策日 2007年1月19日 井土ヶ谷−天王町
参考 「旧鎌倉街道を歩く」 勝田五郎著
「神奈川県の歴史散歩」 山川出版
(HP) 「保土ヶ谷宿の成立と交通路の変遷」 大畠洋一