鎌倉下の道 B (能見台−弘明寺)      地図→@能見台-笹下  A笹下-弘明寺

 

京急能見台駅から京急ショッピングプラザまで行き、そこから鎌倉下の道をたどる。



ショッピングプラザの西側道路から、公園脇をくだり、氷取沢高校の東側に向かう。そこからグランド脇を通る登り道となる。

氷取沢高校脇



登りきると、南側一面の住宅地、丘陵が見渡せる。
その先なだらかなくだり坂となる。
 
岩船地蔵



左手に小さな地蔵堂がある。
岩船地蔵といって、「本尊は、栃木県岩船山高勝寺にあり、生身の地蔵ともいい、死者を暖かく抱いてくれると同時に子授け、安産の地蔵尊で、船形の台座に乗っている。』との説明文あり。
享保4年(1719年)中里村の有志による建立という。
大岡川沿いの道



坂を下りきると左にENEOSが見える自動車道路を横切って進むと大岡川を左に見える。ここからは、いかにも古道の雰囲気をもち川沿いの道となる。
向坂バス停からは笹下街道をすすむ。
環状3号線、JR線を過ぎて栗木バス停のところから、右にはいる。

馬頭観音



はいってすぐの右側に馬頭観音がある。明治41年と刻まれている。
  
大岡川沿いの道


妙蓮寺



川沿いの道をさらに進むと、右側に妙蓮寺への階段があり、中ほどに庚申搭がある。享保18年(1733年)

庚申搭



再び、笹下街道に出て、環状2号線をくぐることになるが、その手前、右側に、庚申搭がある。安永という文字がようやく判別できる。(1772〜1781年)
鰻井戸



右側の湘南信用金庫の前に策に囲まれた「鰻井戸」がある。
「北条実時が、病で倒れたとき、2匹の鰻のいるこの井戸の水を飲んで回復し、以後、病が治るという鰻井戸が有名になった」との説明文がある。
横浜刑務所とこのあたりの大岡川



鹿島神社

イトーヨーカドーが見える信号を右に向かうと、右側に鹿島神社がある。
三山供養搭 堅牢地神−文政2年(1819年)



 
青木神社










笹下街道は、今の鎌倉街道と合流するが、下の道はそのまま鎌倉街道を横きってすすむ。(関ノ下歩道橋)
その先、左手の奥に青木橋がかかり、青木神社がある。

説明版には、青木神社や、大岡川の過去の氾濫や改修工事の様子などが詳細に記されている。
青木橋からみた大岡川と上大岡駅方面
上大岡駅を過ぎた地点で再び、今の鎌倉街道に合流し、それが大岡川を越える地点から、旧鎌倉街道にはいる。(最戸橋の手前)・・・・・むかしからの商店街がつづく。


鎌倉街道標柱






旧道入り口という信号で三叉路で今の鎌倉街道に合流する。
鎌倉街道の標柱がたっている。
今は横浜国立大附属横浜中学校であり、その歩道脇には「横浜国立大学工学部旧横浜高等工業学校発祥の地」という石碑がたつ。
弘明寺商店街 鎌倉街道から離れ、商店街をとおり弘明寺に向かう。



   大岡川
弘明寺

山門前には、文政元年(1818年)の道標があり、ほどがや道とある。

本堂

説明版によれば、:
「弘明寺は・・・養老5年(721年)、インドの善無畏三蔵法師により開創されたお寺で、鎌倉時代には源家累代の祈願所とされ、江戸時代には板東観音三十三カ所の14番札所として信仰を集め年2回の市が立ち、大変賑わった」という。
「本尊の木造十一面観音立像は、関東にのこる鉈(なた)彫りの典型的な作例として有名なもの」という。
通称:弘明寺観音(国重要文化財)
鐘楼


  七つ石            庚申搭
  
乗蓮寺



境内には尼将軍化粧の井戸と伝えられる井戸が残っている。
明和2年(1765年)造立の宝篋印搭がある。
住吉神社




広いか境内にすっきりした形で建てられている。
右奥には、庚申搭などの搭がある。
  
江戸名所図会・・・乗蓮寺、住吉神社
参考 「旧鎌倉街道を歩く」 勝田五郎著
「神奈川県の歴史散歩」 山川出版
(HP) 「金沢・時代の小波」 小市民の散歩行こうぜ 
散策日 2006年12月1日 能見台−井土ヶ谷