散策日 2006年10月30日 金沢八景-- 能見台

参考:金沢八景

1・洲崎晴嵐 2・瀬戸秋月
現在の金沢区洲崎町付近の海辺に、薄雲がたなびく様 瀬戸橋付近から見上げた名月と水面に映る月影。
3・水泉夜雨 4・乙艫帰帆
瀬戸神社の裏、手子明神の辺りに降る夜の雨。 現在の海の公園にあった乙艫海岸の沖を通る帆かけ船
5・平潟落雁 6・野島夕照
秋の平潟湾に雁が列をなして渡る情景。 野島山の西側に夕陽が当たって輝く情景
7・内川暮雪 8・称名晩鐘
瀬戸橋より奥の内川入海に降りしきる暮れ方の雪。 海面を走って遠くまで響く称名寺の入り会いの鐘の音。
鎌倉下の道 A (金沢八景-能見堂)          地図→朝比奈-能見台




金沢八景駅前から、16号線を南に少しいき、信号の先の泥牛庵の向かいの細い路地を、海側に入る。


金龍院



小高い丘のふもとにある落ち着いた緑の多い寺で、丘の上には、昔の金沢八景が一望できる九覧亭旧跡がある。
ただし、事前の許可が必要で今回は内部の参拝はできなかった。
瀬戸町やぐら群・横穴墓



金龍院の丘の海側の道路の壁に、工事に伴い発掘調査が行われた、遺跡の案内板が掲げられている。そこには、中世の埋葬施設、五輪搭、宝篋印搭、が置かれたやぐら群や、その下からは古墳時代の横穴墓があったとの説明と発掘写真が示されている。
16号線に戻り金沢八景の駅をすぎて、八景のひとつの平潟湾をにむかう。

琵琶島神社

湾に突き出した琵琶島神社がみえる。北条政子が琵琶湖の竹生島弁財天を勧請したという小さな神社である。


境内の入口には、この石の前で物を拾うと福を授かるといわれる福石がある
 



瀬戸神社

案内板:
「中世都市鎌倉の外港として栄えていた武蔵国六浦庄(現金沢区全域)における中心的な神社。平潟湾と瀬戸入海をつなぐ潮流の速い海峡を望む地点に、古代から海の神としてまつられたと推定されますが、社伝では治承4年(1180)に源頼朝が伊豆三島明神(三島市三嶋大社)を勧請したのが起源とされています。」
また、文化財としては、木造舞楽面、木造神像、などがあり、湯立て神楽が伝わっている。



←謡曲「放下僧」の遺跡の案内と、かやの木
  大きさ、樹形、生育状況からみても関東地方でもまた珍しいほど生育し   たかやという。
蛇びゃくしん」と称した名木がある
  
瀬戸橋


瀬戸神社の前を、16号線の旧道に入っていく。
宮側に架かる瀬戸橋があり、その先には、金沢シーサイドラインのモノレールが見える。
明治憲法起草の地=東屋跡



橋を渡り、左側の第一生命ビルの前に料亭東屋の跡という説明版がたっている。それによると:
「この地は、料亭東屋(あづまや)の跡で、明治20年(1887)伊藤博文、伊東巳代治、金子堅太郎、井上毅(こわし)らが明治憲法制定のため草案を起草したところで、金子・伊東は東屋に泊り、伊藤は夏島の別荘から、井上は野島旅館から通った。」という
明治憲法起草の碑



この碑は明治20年(1887)伊藤博文 伊東巳代治 金子堅太郎らが料亭東屋において明治憲法制定のため草案を起草したのを記念し昭和10年(1935)金子堅太郎書で建立されたもので、もとは、東屋裏庭内に建てられたが、東屋廃業後、ここに移された
明治憲法起草の碑のある広場のすみに、「金沢歴史の道」という石柱があり、右称名寺と示している。

州崎神社
その先右手に、州崎神社がある。
 その並びに龍華寺がある。
龍華寺
江戸時代には、武蔵国の密教教学の中心寺院として栄えたという。境内右手には茅葺きの鐘楼があり、鎌倉末期の鋳造とされる県重文の梵鐘がある。
また、木造弥勒菩薩坐像は、室町時代の典型的な法衣垂下像という。



境内には、庚申搭や、「左保土谷道」とある道標などが並べられている。
ここから先 旧国道沿いには、神社、お寺が多く並んでいる。

安立寺



龍華寺のとなりが、、安立寺で、山門への入り口前に 日蓮宗 「宗祖船中問答御着岸霊場」 との看板がたっている。松が印象的。

天然寺


左側に天然寺がある。
町屋神社



町屋の交差点の左側奥に入ったところ。

伝心寺



唐門とその奥が本堂
八幡神社
旧道が左へ大きくカーブするところに八幡神社がある。
参考にしたHPによれば、・・・・金沢文庫に保管されている古文書の中に
「称名寺金堂の屋根を葺くための檜皮を積んだ船が野島に着き、それを瀬戸の内海の中へ入れ、八幡宮の前で荷揚げした」と、記載されている。・・・
明治の始めにこの八幡宮が寺前村の村社となり、いままでみてきた、町屋神社、洲崎神社、町屋村、洲崎村の村社として認められた、とのこと。




毎年8月には、夏祭りが盛大に行われ、みこしが町を練り歩く。

境内右側にある石の祠
下の道は、旧16号を進み、次の信号を過ぎた一つ目を右に入っていく。ここでは、称名寺に行くために八幡神社の三叉路を右に進む。

薬王寺

 称名寺の見える手前、右側の白い壁で端整に囲まれているのが薬王寺である。
龍華寺の末寺で、鎌倉時代の創建とされている。

境内の右手に、庚申搭が建つ。
文政十年(1827年)の文字が見える。



称名寺 以下、称名寺を細かく見ていくことにする。
赤門

突き当たりに、称名寺と記された赤門がある。
ここから、山門まで桜並木が続き、称名寺の塔頭が、左右に並ぶ。
大宝院

説明文によれば、「北条氏が4代にわたって称名寺の伽藍を造立した頃、僧坊として建立されたものと思われる}
光明院 表門

山門に向かって左手にある。この表門は寛文5年(1665年)建立で、造営年代が判明する市内の建造物の中で最も古いものという。(説明版)
延命地蔵尊-天保5年(1834年)造立
山門(仁王門)

金沢北条氏の祖、北条実時が、六浦荘金沢の別邸内に持仏堂(阿弥陀堂)が称名寺の起こりとされる。。のち文永4年(1267年)下野薬師寺の僧・審海を開山に招いて真言律宗の寺となった。
金沢北条氏一族の菩提寺として鎌倉時代を通じて発展し、2代顕時、3代貞顕の代に伽藍や庭園が整備された。
境内は国史跡に指定され、池は阿字ヶ池といわれる浄土式庭園である。
阿字ヶ池 金堂                釈迦堂

  
鐘楼

金沢八景の一つ「称名の晩鐘』で名高い梵鐘(国重文)
裏手の山からみた境内奥 八角堂

庫裏の左側から裏手の山に上ると見晴らしの良い八角堂があり、そこから東返しがわに下りる途中に、北条実時の墓がある。
北条実時の墓(山の中腹) 北条顕時・金沢貞顕の墓

中世の隋道と金沢文庫(この先)



中世に作られた隋道で、江戸時代には、向こう側に「文庫がやつ」という地名があったと記録されている。
(この先に現在の県立金沢文庫がある。)

金沢文庫は、実時が晩年の頃(建治元年−1275年)に金沢の別邸に蔵書を集めて創設したといわれる。
称名寺の赤門まで戻り、金沢文庫駅方面で、そこを西に向かう

子聖大権現



約200mぐらい先に進むと左側に大田医院のサインがみえてくる。そこに、子聖大権現を祀った堂がある。

君ヶ崎稲荷



旧16号線と新16号が合流する君が崎交差点の先、右側に君ヶ崎神社がある。
比較的新しい庚申搭や、祠が並ぶ。
道標



16号線を金沢文庫駅前を越えて進み、最初の京浜急行の踏み切りを越えた正面の角に、道標がある。道標の右側には、六国峠ハイキングコースという看板がある。
道標正面「右 能見堂 保土ヶ谷 道」と刻まれている。
天保16年(?)(1844?)とある。
下の道は、右に向かうが、ここでは、左に行き、浅間神社に登ることとする。
浅間神社

しばらく進むと右側に山が迫ったところに鳥居があり、神社の標柱と、登り口がある。山頂には、朱色の神社が現れる。



社殿の前のお堂には、宝暦10年(1761年)の第六天神と刻まれた石碑がある。金沢谷津村とある。
ここからの眺めはよく、称名寺あたりの山がはっきりと見える。

五輪搭、庚申搭



階段下の標柱までさがり、右方向に少し行くと右側のがけに、馬頭観音や庚申搭、五輪搭がある。
能見堂に向かう下の道のひとつだといわれる。
庚申搭



京急踏切すぐの道標までもどり、右方向にいくと、3つの庚申搭が民家の庭に入り込んだ形で建っている。比較的輪郭がはっきりとしており、いつも手入れが行き届いているようである。
享保10年(1726年)貞享4年(1688年)天明9年(1790年)造立である。
六国峠入り口



さらに奥へ行くと、民家の脇をのぼって、能見堂にむかう。
六国峠入り口というサインがある。早速急な坂道となる。
石仏



「能見堂ハイキングコース」の説明版を過ぎた左側に3つの石仏がある。
木の間からの見晴らしもところどころ良くなる。
能見堂跡

しばらく登ると、若干開けた台地につき、能見堂跡の標柱や説明版が出てくる。井戸の跡もある。
「金沢八景根元地」の石碑が建っており、もともとは、金沢八景はすべて能見堂から眺めることができたというほどの、名所であった。
いまは、まわりに木が生い茂っているため見晴らしはまったく良くない。



江戸名所図会にでてくる能見堂
筆捨松と呼ばれた
不動池



能見堂から先も、尾根伝いに道端すすむが、この先浮動池が右手、下、にあり、そこを経由して、進む。ハイキングコースとして、整備されているため、案内図もポイントごとにあり、わかりやすくなっている。地図に通り、右折して下ると不動池がある。
谷津関ヶ谷不動尊



池の端に、ハイキングコースへの案内とと谷津関ヶ谷不動尊の石柱がある。再び、左方向に登る。小さなお堂があり不動明王の石仏が祀られている。
道祖神

ここからさらに登ると、能見堂からの下の道に合流する。土手の中ほどに小さな穴が掘られ、小石に刻まれた道祖神がまつられている。
この先左右に同様の小さな祠があった。



  
能見台へ



下の道は、ここから、六国峠ハイキングコースからわかれて、北上する。
横浜横須賀道路の能見台トンネルの上のあたりを通過したあたりで住宅街へぬける道がある。

住宅街へでると、京急ショッピングプラザがある。そこからバスで能見台駅へ。
参考 「旧鎌倉街道を歩く」 勝田五郎著
「神奈川県の歴史散歩」 山川出版
(HP) 「金沢・時代の小波」 小市民の散歩行こうぜ