保土ヶ谷宿 その2 (外山神社−不動坂) 地図→ 保土ヶ谷(境木−不動坂)
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外山神社 | |||
今井川の対岸に外川神社がある。このあたりは国道と今井川の護岸工事が進められている最中で、国道から神社までの参道として新しい橋が建設中であった。 |
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供養塔 | |||
岩崎ガードの交差点の今井川よりに、供養塔や地蔵などが立っている。このうちの出羽三山供養塔は、文化7 年(1810年)と、「保土ヶ谷宿」の刻印がある。 |
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樹源寺 |
今井川と平行している国道を岩崎ガードの次の信号を右方向に向かうのが、旧東海道である。 |
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右側に樹源寺がある。庭がきれいに整理されており、しだれ桜がみごとだった |
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帝釈天 |
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樹源寺の先-右側に、保土ヶ谷消防団の建物があり、その手前の道を入ったところに,帝釈天の祠がある |
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旧元町橋跡 | |||
消防団の建物の左側に歴史の道「旧元町橋跡」の標識があ 「保土ヶ谷区郷土史によれば、明治時代の東海道線鉄道工事以前の今井川は、ここで街道を横切っていた」という |
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元町橋 |
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東に進むと、元町橋の三叉路の突き当たる。ここの今井川のほとりの広場に元町橋の由来の説明板がある。それによると、今残っている旧東海道が整備される慶安元年(1648年)以前には、保土ヶ谷宿は、この元町附近と天王町の古町にあったという。 信号を渡った元町橋ストアーの横に庚申塔が立っている。 |
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権太坂 | |||
国道1号線に向かって直ぐの角に『歴史の道』の標識が立っており、権太坂への入口である。 |
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急な坂道を登り始めると直ぐ下を保土ヶ谷バイパスが走る。東側に横浜の町が広がる |
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江戸名所図会―権太坂 |
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投込塚の跡 |
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坂を登りきってバス停をすぎるとサカイギ境木中学校で、東海道はそこを右に向かうが、左に数十メートル行った左側に「投込塚の跡」の碑がある。宅地造成の折、多量の人骨が発見され、行き倒れた人を埋めた井戸があったと伝えられる |
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境木立場 |
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坂を登りきってバス停をすぎるとサカイギ境木中学校で、東海道はそこを右に向かうが、左に数十メートル行った左側に「投込塚の跡」の碑がある。宅地造成の折、多量の人骨が発見され、行き倒れた人を埋めた井戸があったと伝えられる。 |
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江戸名所図絵:境木立場の様子 |
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境木地蔵 |
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若林家の並びに 境木地蔵があり、その石碑に由来がきされている。 由来によると「ここは、武蔵相模の国境で江戸時代にはそのしるしが建てられていて、境木の地名はそれから起きたといわれる。また境木は東海道中の難所であった権太坂を登りきったところにあり名産の牡丹餅を食べながら旅の疲れを休めることができて大変賑わったと伝えられている。」また「地蔵についての珍しい伝承」も記されている。 |
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境木の前は道路整備によって、拡張されて以前に比べると大きく変わって広々とし武蔵相模の境、そして、『歴史の道』としての立派な広場に生まれ変わった。 |
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焼餅坂 |
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境木地蔵前の交差点を南に向かうと、焼餅坂である。 |
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代官屋敷・道場跡 | |||
案内図によると、境木地蔵から南側方向だったので、直ぐ前の道を探したがなかなか見つからず、ようやく焼餅坂と平行して下る道を通ってみつけることができた。結果的には、焼餅坂を下って最初の四つ角を左に入り、さらにもう一度左折して突き当たりという位置であった。 写真は、焼餅坂をおりたところの最初の四つ角。ここを左に入る。 |
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品濃の一里塚 |
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その先の緩やかな坂を登ったとところが「品濃の一里塚」で、小高い丘が、道の両側にそろって残っているのは少ない |
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福寿観音 |
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オーロラモールのダイエイーから環状2号線をまたいだ陸橋のはずれに、小さいお堂がある JR東戸塚駅は、昭和55年(1980年)開業した。昭和38年に、大正の初めからの新駅設置の動きが再度計画された。 それは、福原政二郎氏の設置運動への功績と私財の貢献によるものである、として「東戸塚駅沿革概略記」に詳細に記してその徳を讃えている |
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品濃坂道標におりる手前の標識 |
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尾根沿いの道から環状2号線方向に下る道に左側に旧東海道の標識がある。 坂を下りるりる途中、右にカーブしている場所に階段があり、そこを下りると環状2号線をまたぐ陸橋に出る。
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品濃坂 |
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品濃坂の道標が、階段と環状2号線の陸橋の間にひっそりと立っている。 標識の屋根の上に、この辺一帯の地図が描かれている。 |
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国道に出たところが『東戸塚入口』の交差点であり、そこをそのまま進む。柏尾川沿いに進み、赤関橋で国道にぶつかるが、国道に入らず、左に折れたのちその先の秋葉立体の陸橋の脇から、国道1号線にはいる。 |
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山王神社 |
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不動坂の交差点の一つ前の信号の先(一号線の反対側はポーラ化粧品の横浜研究所)の小道を、東に登る。丘の途中を右に入る小道は、成正寺につうじるが、その先左側にあるのが、山王神社である。 祭神として、護良親王が祀られている。 |
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成正寺 |
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不動坂交差点の手前を右側にはいると、大山不動があり、そこから大山道に通じる。 交差点東側には、益田家のもちの木が、大きくそびえている。 |
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大山前不動 |
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大山の阿夫利神社は、江戸中期頃から勝負事に御利益があるとされ、大山詣でとして、多くの人が旅をした。 右側の不動堂内に、大山前不動が祭られ、また大山への道標や、庚申塔が立っている。
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益田家のモチノキ |
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高さ18メートル、周囲2.4メートルの雌株と、高さ19メートル、周囲3.2メートルの雄株の 2本の「モチノキ」がたっている。 樹齢はおよそ三百年と推定され、神奈川県の名木100選に指定されている。 |
散策日 | 2006年3月25日 | 帷子川−境木 |