・・・ 日本橋から下諏訪宿まで  甲州街道の旅 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

7.笹子-甲斐大和


          地図: ①笹子ー笹子峠  ②笹子峠ー駒飼宿

 

 2年ぶりの甲州街道歩きとなった。
コロナが収束したが、街道歩きから遠ざかっており、また笹子峠越えということでタイミングが取れず、今回となってしまった。

笹子-黒野田宿  
   笹子駅からJRのガードをくぐって甲州街道を進む。
まもなく 黒野田宿にはいる。
黒野田宿は、東側の白野宿と阿弥陀海道宿との3宿で宿の業務を交代して行い、問屋業務は、1~15日を黒野田宿が勤めた。
本陣 1,脇本陣 1,旅籠 14軒と 笹子の峠越えを控えた比較的大きな宿場であった。
 笠掛地蔵
 
    左手に火の見櫓があり、その道路側に変わった形の地蔵が立っている。
脇に「黒垈(ぬた)宿笠掛地蔵由来」という説明板がある。創建は安政2年(1855)で、13代徳川家定の天領政治時代という。
由来は定かではないが天保の大飢饉、七公三民の重税など領民を襲う窮乏を、この地蔵に心願したものという。
 本陣跡
 
   すぐ先に本陣跡がある。 黒野田宿の西のはずれで、右側に古い門と 明治天皇行在所阯の石柱がある。
 普明院
    笹子川を渡ると右側に普明院がある。手前にある阿弥陀海道宿にあった行基作の阿弥陀像をここに移して本尊としたという。

<一里塚跡>

 門の左側の壁に掲げられた毘沙門天の看板の近くにに一里塚跡の標柱が立っている。
日本橋から25里という。
 笹子トンネル 扁額
 
    左へ大きくカーブした先で、中央線の下り線の笹子トンネル入口が見える。
明治36年(1903)に開通した全長4656mの完成当時は日本で最長であった。
その坑門上部には 伊藤博文「が揮毫した「因地利」の文字のある扁額が掲げられている。(地の利を生かすという意味)
 道の景色
 
  この先は笹子川に沿って 緩やかな野反坂となる。右側の土手の上には、天井板崩落事故があった中央道の笹子トンネルの入口が見える。
小さな集落を通り過ぎていくが、道路脇に文字庚申塔やレンガ造りの社があり、街道の面影を残している。
   
  ミツマタ            あしび
    
 笹子峠登り口
 
 国道20号線が右に大きく曲がっていくところで、左に分岐して200mほど進む。
笹子川にかかる橋を過ぎると、新田下バス停があり、その先に 旧の甲州街道の標識が立ち、右に入って行く。

金網の柵を抜けて、いよいよ峠道への登り口である。




 
 すぐに深い森となり、右下には 笹子川が急流となって流れている。
 道の景色
 
   まだ登り初めて間もないところで、、数日前の雪が依然として残っており、倒木が道を塞いたり、この先が思いやられた。





 やがて左側の山の上の方を左手を走っている県道に合流する。
 矢立の杉への標識
 
   「笹子峠自然遊歩道」の大きな標識が立ち、旧甲州街道はここから、県道から左手に分岐して登っていく。

             <本来の旧甲州街道>
 ただこの道は、谷川に沿って進んでいくようで、先日来の雪もあり、この道は避けて、県道を進むことにした。
 標識には 県道を進むと矢立の杉まで1.7kmとある。
 矢立の杉
 
 



  県道から左手に降りていくと大きな説明板が立つ。
戦国時代 武士が合戦に7でかけるときに、この杉に一番矢をい立てて、戦勝を祈願したと言われている。 
  

<杉良太郎の歌碑>     <見下ろしたところ>
    



近くに寄るとその存在感に圧倒される。
  樹齢 約1000年
  根廻 14.8m
  樹高 約26.5m
 道のの景色
 
    県道に戻り、峠を目指す。
日陰になっている道路は、一面の雪に覆われている。
 笹子トンネル
 
    甲州街道の難所であった笹子峠を超えるために、昭和13年(1938)に完成した全長239mのトンネルである(幅3m)
坑門の柱上の装飾と赤レンガが良く調和している。
 右側の案内板のところを登って、峠越えをする。
 笹子峠
 
    標高1096mで、黒野田宿と駒飼宿の間にあり、この間の上り下りで 二里半(約10km)の険しい坂道が続き、甲州街道一の難所と言われた。

<複雑な道標>  







<甲斐大和側出口>

 甘酒茶屋跡
 
 甲斐大和川の出口に降りると、一面の雪である。
少し先の県道の左側にガードレールの切れ目があり、旧甲州街道への入口らしい。
その先に白い標柱が見える。
甘酒茶屋跡とある。
この先、小さな沢を下るようなので、旧道を下るのはあきらめて、県道を進むことにした。
甲州街道峠道 入口
 旧道は沢に沿って比較的まっすぐに下っていくが、車道は山の傾斜に沿って進むので、歩く距離が半端ではなかった。ただひたすら歩くのみ。
ようやく駒飼宿側の甲州街道峠道の入口に着いた。

         <峠道入口から見た先の景色>

 説明板によると 昭和62年にそれまで荒れていた清水橋から峠までの旧道が整備され、復元されたという。

 天狗橋
 
    この先を更に下ったところから、旧道は笹子沢川を渡って、右側-対岸-を下っていたと思われるが、その道はわからず、県道をそのまま下った。
対岸には駒飼一里塚跡があるらしいが、わからない。
 川を渡る手前右に津島大明神の社が祀られている。

 天狗橋を渡ると、右側から道が合流しているが、これが本来の旧道と思われるが、
柵が設けられていて、奥へ行くことができなかった。
駒飼宿
 すぐに開けた大地が広がり、駒飼宿に入る。
ここには、甲斐の国の御料牧場があったといい、駒飼宿の名が名が付いたという。
北に位置する鶴瀬宿との相宿で、21日から末日までの間、人馬の継立てを担当していたしていた。
本陣 1, 脇本陣 1,旅籠 6軒
 脇本陣跡
 
   富屋脇本陣跡 -現在は空き地になっている。



          万霊塔→
 本陣跡
 
   
 駒飼宿地図
 
    本陣跡には、宿の詳細な地図が掲げられている。クリックすると拡大 ←クリックすると拡大


→以前は茅葺であった家。
宿の景色
 旧街道は、まもなく県道から左に向かって分岐し、坂道を経て笹子沢川を渡る。
野仏群 
 中央高速道の橋桁下をすぎると、左側に供養塔や地蔵が立っている。

 この先で、国道20号線に合流し。西に向かうとすぐに鶴瀬宿である。

 今回の予定は、ここまでであるが、時間があるので、駅武田勝頼の腰掛石を見ることにした。
武田勝頼腰掛石
 道路脇に小さな標識が立って方向がわかったが、なかなか探しあぐねた。
ようやく見つけたのは、少し高台に位置する民家の脇の道路側から見つけることがでた。

 それほど大きくない平たい石の脇に 白い標柱がたち、
『武田勝頼公一行が鶴瀬・
駒飼郷に滞陣のおり、この石に腰掛け、敵や周囲の動静を伺っていたところ』 とある。
 
武田勝頼は、 武田信玄の四男で、天正元年(1573)信玄の死により、武田家の当主となった。天正3年(1573)の長篠の戦いで織田・徳川の連合軍に敗退したことで、勢いをなくしていった。
韮崎の新府城に拠点を移し領国の維持を図るが、天正10年(1582)織田信長の甲州征伐を受け、新府城から小山田氏を頼りに東へ落ち延び その後  この東側にある天目山で 嫡男とともに自害し 武田家
滅亡した。
 国道まで戻って東に進み 天目山、そして 武田勝頼のお墓のある景徳院方面から流れてくる「日川」のかかる橋をわたり、甲斐大和駅に着いた。
  散策日     2024年3月21日 JR 笹子駅ー甲斐大和駅
  参考