<東京下町の散策と食事を楽しむ>


(12) 
駒込から本郷へ     根津 「釜竹」 酒とうどんを楽しむ 
                                2019年1月29日

 
                        
地図→ ①駒込-本郷


  根津の「釜竹(かまちく)」という釜揚げうどん専門店での飲み会である。、すでに谷根千エリアは散策済なので、今回は、駒込駅から南に向かって本郷通り歩くことにした。
本郷通りは、日光御成街道(岩槻街道)として栄えた街道で、その先の東大前の本郷追分で、中山道に合流する。



六義園(駅前の景色)
 
  駒込の駅前に六義園の門があり、大きな説明板があるが。
園の正門はここから南に400m程先の右手にある。

クリックすると拡大 六義園は、川越藩主・柳沢吉保が元禄15年(1702)に築園した”回遊式築山泉水”といわれる庭園である。
明治に入り、三菱財閥の創業者岩崎弥太郎の別邸となり、 その後東京都に寄付された。
中心にある大泉水と呼ばれる池の周りを廻って景色を楽しめるようになっている。

 六義園の名は、古今集の序にある和歌の分類の六体(そえ歌、数え歌、なぞらえ歌、たとえ歌、ただごと歌、いわい歌)に由来したもの、という。
 <庭の景色> 
 

<蓬莱島> 明治にjなり造られたという神仙島
   <臥龍石>
 <滝見茶屋>  
   
<水分石> と <枕流洞> 



 作庭当時は、水源には 「千川上水」が利用されていた。


 <丘の奥に見えるビル群> 

 <吹上浜と吹上松>  和歌山の吹上にちなむ

<渡月橋>







<出汐湊>

 ゆっくり回って一時間半のコースであったが、紅葉や花の季節には、他の楽しみが多くありそうである。
 
富士神社
 
 






<本殿から見下ろした境内>
  六義園から本郷通りへ出て200mほど先の信号を左に入ると富士神社である。
 天正元年(1573)に 本郷村の名主が駿河の富士 浅間神社を勧請したのが始まりで、
その後寛永6年(1629)に 加賀藩前田家が上屋敷を賜るにあたり、この地に移転した。
 説明板によると、「社伝によればm延文年間(156~61)にはこの社地は富士塚とよび、おおきな塚があったといい、一説によると前方後円墳といわれる。.}
 江戸中期以降、富士講が置く発生し、ここは 「駒込のお富士さん」と呼ばれ親しまれてきた。

<富士塚の途中にある庚申塔>  <供養塔>
     
 境内の説明板には、「江戸の人口増に伴い、大名は国元から百姓を呼び寄せ各種野菜が生産され 大消費地江戸の供給基地となった。  ここでは「駒込ナス」が庶民に好まれた」 という。
 
駒込名主屋敷
  
   本郷通りに戻り、次の交差点 文京九中入口を、左に入り、天祖神社方面に進む。
神社の鳥居の直前を左に入り、少し進んで右手に入る細道に小さな説明板がたっている。その奥に、全く目立たない形で、古めかしい門が建っている。
 説明板によると、上駒込村の名主役を勤めていた高木家の屋敷跡という。薬医門形式の表門は、宝永年間(1704~11))のもの、家屋は享保2年(1717)に再建された、と伝えられる、という。
門の脇の木戸から入り、家屋の外側まで見ることができる。
 
天祖神社
 
   鳥居から長い参道が続き、その奥にコンクリート製の神明造りの社殿がある。
 社伝によると、文治5年(1189)、源頼朝の奥州征伐の折、松の枝に大麻(伊勢神宮の御札)が架かっているのを見つけ、良い前触れとして、この地に神明を祭ったのが始まりという。 以来駒込神明宮と称され、総鎮守・氏神として親しまれてきたという。
 
子育地蔵尊
 
   社殿の入り口に、地蔵堂が建ち、子育て地蔵尊が安置されている。 正徳2年(1712)の創建という。 地蔵尊(左側)は風化しており、僅かに輪郭が残るのみである。
 
吉祥寺
 
    100mほど本郷通りを南にいくと、左手に、この辺りでは特に貴重な風格を持つ山門が建つ。
長禄2年(1458)太田道灌が江戸城築城の際、井戸の中から「吉祥」の金印が発見されたので、城内(今の和田倉門内)に一宇を設け「吉祥寺」と称したのが始まりという。水道橋に移転後、明暦3年(1657)の大火で被災し、この地に七堂伽藍を建立し、大寺院となった。

 吉祥寺には 関東における曹洞宗の僧侶の養成機関として梅檀林が置かれ、一千余名の学僧が学び、当時の幕府の昌平坂学問所と並らび称せられたという。

 山門は、享和2年(1802)再建されたもので、江戸後期の特色をよく示しているという。
 境内の奥に、梅檀林の図書収蔵庫として使われた経蔵が建っている。
文化元年(1804)に再建されたたもので、 山門と経蔵は第二次大戦の大火をくぐり、往時を忍ばせている。



吉祥寺が移ってきて、今の本郷通り 岩槻街道日光お成道に沿って門前町屋が開かれ、延享2年(1745)から町奉行支配となった。

 光源時
 
 本郷通りのこの辺りの両側には、多くのお寺が建っている。

 白山2丁目交差点を200mほど東に進むと光源寺がある。天正17年(1697)神田に創建され、慶安元年(1648)この地に移転した。 
 境内には屋根部分が一見チャペルを思わせるような堂が建ち 身の丈約6mの観音像が安置されている。


 駒込大観音と呼ばれ、元禄10年(1697)
の造立の十一面観音像であったが、東京大空襲により焼失、再建された。、





<庚申塔>
 境内西のはずれに大きな庚申塔が建っている。

 正面に一面六臂の青面金剛立像と、その下に三猿が彫られている。
脇には「庚申待 百万遍講中」と刻まれ、明和9年(1772)の造立である。

白山神社
    もと来た交差点を東に進み、旧白山通りをこえて、坂を下り白山神社に行く。
 由緒によれば、天歴2年(948)に 加賀国 一之宮 「白山比咩(しらやまひめ)神社」から勧請、 明暦元年(1665)徳川綱吉の屋敷造営の時に、現在地に移ったという。
 今はアジサイの名所として有名。


 
円乗寺
 
 地下鉄白山駅の東側にいき、八百屋お七の墓のある円乗寺に向かったが、手前の路地と共に、大規模な改装中であり 見ることができなかった。
 
大円寺 ほうろく地蔵
 
   坂を東にのぼり、旧白山通りにある大円寺に寄った。向丘高校ノア営門脇に赤い山門がある。
 境内に地蔵堂があり、ほうろく地蔵が安置されている。
 天和2年(1682)の大火の後、火あぶりの刑を受けたお七を供養するために、享和4年(1719)に寄進された地蔵という。

高島秋帆の墓がある。
 
西教寺 表門
 
    白山2丁目交差点まで戻り、本郷通りを南へ行く。
左手に東京大学の敷地が広がる手前を、左に入ると 西教寺と、山門がある。
徳川家の重臣、酒井雅楽頭(うたのかみ)・・・井伊家と並ぶ大老の家柄・・・の屋敷から移築された門が 建っている。関東大震災後 一部修理が行われたが、「近世初頭の標準から外れる複雑な寸法体系で、独特な品格をもたらしている」 という。
 
追分一里塚跡
   すぐ先の三叉路の右側角に酒店がある。 えんじの看板には「TAKASAKIYA since 1751」 と描かれており、宝暦元年(1751)創業の老舗である。 両替商も兼ね、現金安売りで大いに繁盛したという。

クリックすると拡大 ここは、中山道と日光御成道(岩槻街道)の分かれ道で、日本橋から最初の一里塚があった。

 店の前に 「追分一里塚跡」の説明板が立っている。


 
赤門
 
  赤門とは、江戸時代、大名家に嫁いだ将軍家の子女またはその住まいを御主殿と呼び、その御殿の門を丹塗りにしたところから、一般に赤門と呼ばれた。
 現在残っている唯一のものが、この東大前の赤門という。

 ここはもともと加賀藩前田家の上屋敷で、3代藩主前田斉泰(なりやす)が 文政10年(1827)11代将軍家斉の娘溶姫を正室に迎えるにあたり、その前年に造営されたもの。
 
本郷薬師
 
  本郷3丁目交差点手前西側の路地に、赤い提灯を下げた高い門があり、その奥に小さな堂がある。
 この地は、戦災により、世田谷に移転した真光寺の境内であったという。(真光寺は 江戸時代には、藤堂家(祖は高虎)の菩提寺として栄えた。)

 寛文10年(1670)ここに薬師堂が建立された。人間の病苦をなくし苦悩を除く仏として、深く信仰され、本郷薬師の縁日の夜は大いに賑わったという。

、<十一面観音菩薩銅像>
 真光寺が移転した後も、境内にあった薬師堂と、十一面観音菩薩銅像は、この地に残った。
薬師堂は昭和53年に新築されたが、この銅像は罹災を免れ当時の姿を残している。
 銅像は、高さ四尺八寸で、蓮華座には、享保5年(1720)の銘がある。
 
 最寄りの本郷三丁目駅から、今日の目的地の根津に向かう。

 釜竹(かまちく)
  
  今回は下町散歩のシリーズを始めて、12回目となった。
その第一回目が、根津の「はん亭」であり、「釜竹}はそこから約100mほど東に入った所で、懐かしい場所であった。

 到着時は、うす暗くなっていたが、石造りりの建物で うどん専門店とは思えない堂々としたものであった。

 「釜竹}のHPによれば、 「この石蔵は、明治43年に建てられたものを移築・改築したものです。 建築家 隈研吾氏の建築により、今の釜竹の姿になりました。」 という。

   釜揚げうどんの専門店であると同時に、選ばれた日本酒がそろっている。味も”だし”が程よく効いたつまみ類も年配者好みのものが多く用意されている。
 しかも右の写真の様に、天井が高く独特の部屋の雰囲気で 「酒・肴」と共に、大いに楽しみことができた。


<店への入り口の前で>
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