八王子街道(絹の道)    ④片倉→八王子  


  散策ルート ①芝生→南町田 ②南町田→多摩境 ③多摩境→大塚山(+滝山城)
          ④片倉→八王子  


                 地図→大塚山-片倉町    片倉町-八王子追分

 

 前回の散策は大塚山で中断したため、 今回は、片倉駅側から大塚山まで上って、前回の終了地点まで行き、そこからのスタートである。 片倉駅-大塚山 間 は往復したことになる。
八王子バイパスと新しくできた団地の為、大塚山からふもとの慈眼寺までに道がはっきりしていないようなので、行きにその道を確かめながらのぼっていったが、確認できないところがあった。

大塚山から八王子方面の眺め
 頂上への石段の手前にある絹の道の石柱から、歩き始める。
八王子バイパスの上からの眺めは壮観である。
八王子駅のビルの西方向が絹の道の終点である追分である。


バイパスまでの石段
 大塚山からバイパスの脇の道までは、結構急な階段である。


 バイパスを越した先には住宅地が広がる。
ここから先の慈眼寺までは、道筋はハッキリしていない。

 慈眼寺から大塚山まで上って行く途中、白山神社を見たのでその延長線上にある片倉台小学校まではその道筋らしい気配があったのだが・・・

白山神社
 片倉台小学校の北東側にある
郵便局の道路を約500mほどくだると、右手に白山神社がある。
 神社の石柱の後ろ側に、石仏が数体残されている。 ほとんどが風化しており建立年代は不明だが、住宅地の造成の時に道筋にあったものが、ここに集められたものであろう。

道標 
 100m程先に、慈眼寺入口の標識が立ち、その脇に、細長い石柱がある。
それぞれの面には次のように刻まれている。年代不明。
  板橋ヨリ壱丁参道
  至子安村
  至 ヤリ水村
  武州多摩郡片倉邑

慈眼寺
 慈眼寺のHPによると、文安2年(1445)に安守公和尚により開山されたという。 (左は山門)

 
 道標のすぐ先突当りの草むらの中に水神塔が建っている。


絹の道に関するほかのHPによると、
慈眼寺入口にあった道標は、水神塔と同じ場所にあったようだ。

このあたりは、宅地開発により道筋なども変化しているようだ。

片倉城跡
 すぐ北を流れる兵衛川を渡り、横浜線のガードをくぐって北に向かい、すぐ先で左折し、国道16号線に合流する。
少し先に、片倉城跡公園入口がある。

 (左の写真は、片倉駅の北出口から見た、片倉城の跡である。)

 公園の左手側に住吉神社への坂道があり、そこに神社の説明板がある。

                              <住吉神社>
 住吉神社の由緒によると鎌倉管領片倉城主 長井大善大夫道広が、応安5年(1372)に城の鎮守として摂津国の住吉大社を勧請したという。

 急な石段の先に住吉神社の社殿があるが、その境内に、「片倉城跡」の詳細な説明板がある。(住吉神社の説明とは、異なる) 
・・・「『「新編武蔵風土記稿』などでは、応永年間(1394~1428)の大江備中守師親の在城を記し、大江氏や大江氏の後裔の長井氏の城郭とされているが、確証はない」・・・としている。
 
 住吉神社から少し上ると、二の丸広場がある。
空堀の東側に本丸広場があり、空堀の跡がある。


道の景色
 北を流れる湯殿川を住吉橋でわたり、京王片倉駅前をすぎる。切通しのような坂道を進む。 
 子安町の信号を左に分岐していき、八王子医療刑務所の脇をいく。






時間に余裕があったため、郷土資料館に立寄る。
 (市立第三小の交差点を左折して、500m程西に行く)
庭に、庚申塔や石仏が展示されてあった。

庚申塔(天明2年-1782)       徳本の六字名号       庚申塔(元文5年-1740)   三界万霊塔
                                                             (文久3年-1863)
      

道の景色
 もとの交差点に戻り、JR中央線の踏切を越えると、横浜まで40kmの道路標識があった。


 

八王子追分(八日町交差点)
 国道16号線と甲州街道が交差する八日町の交差点に到着した。

八王子街道・絹の道の終点である。

交差点南東角に、「一般国道八王子道路元標本」が設置されている。


散策日  2016年8月26日  片倉駅(JR横浜線)-八王子駅