保土ヶ谷:今井町、新桜ヶ丘近辺



(1)今井町

 保土ヶ谷−二俣川を結ぶ道路を、保土ヶ谷方面から進み、、横浜新道の下を越えるとすぐに、右に小高い丘が見えてくる。
次に訪れる金剛寺の裏手の丘までつづく『城山』と呼ばれる丘で、ここに砦(とりで)があったと伝えられている。
広報「よこはま」によれば、木曾義仲の重臣今井兼平の居城であったと言われるが、残念ながら記録は残っていないという。


今井城祉入口


 丘への入口部分には、何の標識も無いが、小高い丘に登れる小道があるので、すぐわかる。茂みの中に入ると、鳥居に続いて階段状の坂道があり、頂上と思しきうっそうと茂った木立のなかに、鳥居が建ち小さな神社の境内につづく。ここが、「城山」の南端部分であり城山稲荷が祀られている。その境内の右側に、[今井城祉」の記念碑がたっている

神社への登り



城山稲荷



今井城址 石碑







昭和57年4月横浜市の細郷市長によって建てられたこの石碑は次のように記している。 

 『今井城址は室町時代初期に築城された典型的な山城で、現在に其の遺構をつたえている。城は標高八十七メートルの尾根上に構築され、南北約三百メートル東西約二百メートルの規模を示し、中腹には曲輪、南端には空堀をはさんで守護神と伝承される城山稲荷が鎮座する。昭和30年10月7日その境内から約百貫の古銭が発見されたがこの城が誰の手によって営まれ、城主が誰であったかを語る資料はないものの、現存する遺構、遺物からして、市内を代表する中世の城であることはいうまでもない。』

町内最古という板碑




金剛寺


天正15年(1587年)開創される。慶長16年(1611年)今井城領主 有四九郎兵衛古貞、二代九郎兵衛古久、寛文13年(1673年)徳川幕府旗本二代領主藤兵衛貞吉 などの墓が現存する




子神社

 子神社への入口は、今井街道側から、立派な階段が続く。






(2)仏向町



橘中学の近くを散歩中に、畑の奥に小高い林が見えたので行ったら小さな丘の頂上荷。石塔が建っていた。
遠景

仏向町からNTTの搭の方向に向かう道路の途中から見える林。
左側が橘中学校。


稲荷大明神
小さな頂上にある「稲荷大明神」と刻まれた石塔。

文政2 巳卯 年 正月吉日 (1819年) とある。
散策日 2006年3月28日  今井町
2007年4月2日  仏向町